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2011.1.12きく
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下駄スケート復刻プロジェクト [調査編]

2011年も粛々とはじまりまして、諏訪も連日氷点下のまさに冬。

各市町村のスケート場や校庭リンクもシーズンを迎え、今日も未来の小平奈緒選手目指す少年少女が寒空の下、練習に励んでいるようです。

数多くの有名選手を輩出し、今でもスケートの盛んなこの場所。その原点を探ってみるとどうやら「スケート靴」そのもののひとつのルーツが諏訪にあるようです。諏訪のみなさんならご存知でしょう。「下駄スケート」です。読んで字のごとく。日本古来の履物「下駄」にスケートの刃をつけたもの。博物館や写真などで見たことのある方も多いはず。

そんな下駄スケート。今手に入れられる材料で作ってみたらどうなるの?すべれるの?勝てるの?はい、やりますよ!スワッシュ2011年1発目の企画はずばり「下駄スケート復刻プロジェクト」です。

内容としてはこうです。

  • 下駄スケートに関する情報を集める。
  • 簡単に手に入る材料で下駄スケートを作ってみる。
  • 大会に出場してみる。(1月30日 秋宮リンクで開催される氷上祭スケート大会に参戦予定!)

今回の記事では最初のステップになる下駄スケートの情報集めの様子をちょっとだけご紹介します。

下駄スケートは諏訪生まれ

下駄スケートとは、下駄とスケート靴を組み合わせた日本独特のスケート靴である。現在の一般的なスケート靴が広まる以前に国内で広く使用された。

1906年(明治39年)、長野県下諏訪町の飾り職人河西準乃助が、外国製のスケート靴を模して、下駄の底に鉄製の刃をつけた「カネヤマ式下駄スケート」を発明した。この下駄スケートの流行により、スケートが日本国内に急速に広まった。 1908年には諏訪湖で下駄スケートによるスピードスケートの大会が開催されている。その後の改良により、刃は先が丸いものからまっすぐなものへ、下駄と刃をつなぐ支柱も2本から3本へ、材質も鉄製から鋼鉄製へと変わっていった。現在のようなスケート靴に完全に取って代わられる昭和30年代中頃まで一般的に使われていた。

ー Wikipedia「下駄スケート」より

下駄スケートは下諏訪で生まれまたのです。

それだけではありません。調査を進めていきますと

  • 1908年、日本初のスピードスケートの大会は諏訪湖で開催!
  • 1922年、日本初のフィギュアスケートの大会は秋宮リンクで開催!
  • 1937年、日本初のカーリングの大会は秋宮リンクで開催!
  • 1915年、日本初のアイスホッケーの大会は秋宮リンクで開催!

そうです。日本の氷上のスポーツのほとんどが、ここ諏訪でデビューしたといっても過言ではないのかもしれませんね。

ではスケート靴が普及する以前のスケートを支えた「下駄スケート」とはいったいどういう物だったのでしょうか。下諏訪にあります「諏訪湖博物館・赤彦記念館」に実物が展示されているということでさっそくおじゃましてきました。下駄スケートの進化に沿って、フォトレポートです。

最初はなんと下駄ではなく草履!草履に割竹をつけた「草履スケート」でした。

草履から下駄になりましたが刃はまだ竹のまま。名前も「氷すべり下駄」

ついに刃が金属に!下駄スケートの誕生です。(カネヤマ式下駄スケート)

丸い刃先がまっすぐに。「2枚歯」と呼ばれるものです。

固定が3箇所の「3枚歯」に!今のスケート靴に近づいてきました。

刃が現代風の補強されたものになりました。これ以降、スケート靴が普及し下駄スケートは姿を消します。

写真は特別な許可をいただいて撮影させていただきました

下駄スケート自体も様々な改良が加えられながら、諏訪の「氷上の足」として親しまれていたんですね。さぁ、それでは今回の復刻プロジェクト次のステップ「簡単に手に入る材料で下駄スケートを作ってみる」に進みましょう。

次回はいよいよ下駄スケートの制作編です。
スワッシュメンバーであり木工職人である花太郎の腕がなります。
乞うご期待!

今回ご協力頂いたのは

諏訪湖博物館・赤彦記念館

〒393-0033
長野県諏訪郡下諏訪町西高木10616-111
TEL 0266-27-1627
FAX 0266-27-9755
諏訪湖博物館・赤彦記念館ホームページ

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